2010年アメリカ映画
ストーリーは難しくない。大事なものを運ぶ一人の男が荒廃したアメリカを西へ西へと旅するロードムービーだ。
しかしなんとなくわかったようでわからないモヤっとしたものが残るのはやはりキリスト教、もっといえば宗教に対する僕の日本人的希薄さによるものだろうか。

お話は大戦によって荒廃した世界で一人西へ向かって歩き続ける男。途中で無法者たちに襲われてもあっさりと片づけてしまう屈強のサバイバーだ。
名はイーライ。
この名前にも聖書的な意味合いがありそうだけど、そこまではちょい調べた程度ではわからなかった。
彼の運ぶ大事なものとは”本”らしい。
と、もうさんざん書いちゃってんで今更ながらネタバレしとくと運んでいる本は聖書だ。この世界にたった一冊残った聖書らしい。
世紀末の荒れ果てた世界をただただ進む。無法者が現れれば何人いようとおっそろしい刀で一瞬に片づける。まるで北斗の拳のケンシロウだ。
しかしケンシロウと違って、夫婦がバイク乗りの無法者に襲われていても遠くから見て助けない。万が一、本になにかあるといけないからだ。

やがてイーライは町へたどり着く。そこはある男、カーネギーが手下の暴力を使い、町の秩序として支配している。
カーネギーという名前は、実業家アンドリュー・カーネギーからだろうか。カーネギーホールの。まぁアンドリューをここまでのヒールに描くことはないだろうか。実業家としてのイメージでかな。

このカーネギーを僕の大好きすぎる俳優ゲイリー・オールドマンが演じている。ゲイリー・オールドマンが出ている映画は良作であるという色眼鏡でこの映画も観ているということを先に断っておく。
忘れていたが主人公イーライはデンゼル・ワシントンだ。「ハリケーン」と「トレーニングデイ」はとてもよかった。

で、その支配者カーネギーはもっと大きく確かな支配を行うために探しているものがあった。暴力だけでは完璧な支配はできない。”神”による支配を目論んでるわけだ。その為にはなんとしても失われた聖書を手に入れたい。そこにネギ背負ってイーライが町にあらわれるわけだ。
このカーネギーの情婦は盲目。お、ジェニファー・ビールスじゃないか「フラッシュダンス」の。この女性が盲目っていうのもキーになっている。

そしてカーネギーはイーライにその聖書を渡し俺の部下になれと持ち掛け、イーライは当然断わりドンパチとなる。まぁお決まりの展開でなんのひねりもない。

そして盲目のジェニファー・ビールス(役名はクラウディアだったか)の娘、ソラーラと行きがかりの縁(?)でまた西へ向かう。逃避行(?)。ソラーラは「ブラックスワン」に出てた娘だ。

そしてその旅の途中当然カーネギー一味に追いつかれ、ぽつんと一軒家にてその住民の老夫婦とともにまたもやドンパチやるわけだ。
完全無欠の神に守られし男だったはずのイーライはここで聖書を奪われ、腹を撃たれてしまう。
絶対絶命。

連れ去られたソラーラ。しかし女も強いのね。運転手の首しめて、車ひっくり返して、手りゅう弾で他の車ふっとばして、瀕死のイーライを助けに奪った車で戻る。
イーライは意外なことに聖書を取り戻しに行くことなく、西へ向かう。最後の目的地に。
というような話でとりたてひねりも新鮮さもない。
というと面白くなかったかというと面白かった。
この映画のキモは原題「THE BOOK OF ELI」(イーライの本)ということだ。なんなら「ELI IS THE BOOK」でいい。
あんなに大事にしていた本を奪われても追わずに西へそのまま向かう。誰にも触らせず30年もかけてここまで運んだ本を敵にとられたままだ。
ソラーラも「私のせいで本が・・」と謝りますがイーライは言う。
「君のせいじゃない。毎日読んでいたのに本を守ることに夢中で、そこに書いてあった神の教えに従って生きることを忘れていた」
その教えは自分の為ではなく人のためにつくすこと。
本を運ぶために無法者に襲われた夫婦を見殺しにしたり、誰にも本を見せようとしなかったり、いつか本を守ることが目的となってしまっていた。
神の意志とは大きく離れているということにイーライは気づいたわけだ。これじゃカーネギーとかわんねーじゃんと。
西の目的地に二人はたどり着く。そこは昔監獄として有名なアルカトラズだ。「アルカトラズの脱出」のね。
ふたりがたどり着いたそこは町ごと博物館となっていて、失われた文明を取り戻そうとする場所だった。

実はイーライは本、つまり聖書の内容を一字一句この30年の間で覚えてしまったのだ。イーライ自身が聖書になったのだね。
それを口述で書き写させる。

ところで奪われた聖書はどうなったか。カーネギーは聖書によって絶大な力を得たのか。
ネタバレを進めると、この聖書はすべて点字で書かれていた。カーネギーには読めないのだ。
カーネギーはさんざいたぶってきた盲目のクラウディアに聖書を読むように命令する。ここで盲目であった意味が。
彼女はあざけ笑いながら言う「もうすっかり点字なんて忘れてしまったわ」

カーネギーの部下の精鋭たちはイーライらから聖書を奪うドンパチに死んだ。もはやカーネギーには町をおさえこむ暴力はなく、秩序は失われていく。
聖書の膨大な量の口述を終えたイーライは安らかに死んでいく。
イーライは消えても本は印刷されまたこの世界に聖書が広がっていくのだ。
僕にはどうにもすっと感情移入できないキリスト教的な感覚があちこちに。
まず神の教えを守る為には犠牲は仕方ない、というか当然という献身的な感覚。
なんなら率先して相手を倒している。これは実に聖書的である。聖書の物語の中ではばんばん異教徒や神の教えにそわない者は罰を受ける。滅ぼす。暴力も目的の前には是なのだ。
この排他的な物語は確かに現実的な歴史をみればその通りなのだけど。宗教ってこわい。
また殉教が美のような感覚もうまく呑み込めない。なぜ神はイーライを独り30年も歩かせたうえ、目的を達したらさっさと死なすのか。聖者は殉教してこそ聖者のような、すべてを捧げなさいみたいな、そういうのは肌になじまない。
神の為に目的を達したから天国にいけるのでイーライは幸せなのですよ、みたいな話はどうも。
もちろん自分の一生をかけた目的を達成できるのはすばらしいんだ、本望だというのはわかる。ただそこに「神の為に」とつくとやはり僕の理解を越えてしまう。これが無宗教(実際には宗教は持っていると思うが)の日本人の限界じゃ。
もう少しこの映画に突っ込みをいれると、30年歩き続けたらアメリカ大陸の東から西を何往復できるのだろか。つか地球一周40000キロくらいだから一日15キロしか歩かなくても4周は出来そうだね!って、どこをどう歩いていたんだろう。
ちなみに東海岸のニューヨークから西海岸アルカトラズのあるサンフランシスコまで4800キロ弱くらい。5,6か月で歩けそうだ。。
それとほんとに聖書で世界を治められるんか。僕のように懐疑的なものはそれでも秩序となるのか。つかそれこそが争いの源だったんじゃないか。
まぁそんな風な目では見てるんだけど、やっぱりアクションは派手だし、映画全体の色彩がトーン抑え目なのが雰囲気あったとか、この聖書の世界も知識としてはなんとなくわかるので楽しめたのは楽しめた。
あとね、雑貨屋のおやじがトム・ウェイツだった!

映画ってほんといいもんですねサイナラサイナラサイナラ(古っ)

マイ点数 7/10点


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