甲府旅行

旅行記
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ふと奥さんと連休が重なった。
それでとりあえず山梨の方とざっくり決めて旅にでた。山梨と決めたのは当日だ。
またアバウトやなー。

すいすいーと談合坂SA

この季節は新緑がいいよね。うきうきする。寒くもなく暑くもなくだし。

そうだ、山梨行ったらおいしいほうとうを食べよう。いやほうとうには思い出があるのだ。実は少しにがてなのだ。

まずは武田神社にお参り。初。

武田神社は信虎・信玄・勝頼の武田三代の居館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の跡地に創建された神社。明治時代に建てられたものだそうだ。

もともとは武田家の屋敷(城)だったわけで、神社だが堀が巡らされている。

まさに城跡だ。

躑躅ヶ崎館は武田三代、信虎・謙信・勝頼の居館だった場所と先ほども言った。武田氏滅亡、その後徳川の時代には甲府城が建立され躑躅ヶ崎館は古城跡として風化していたが、明治・大正の時期に武田神社として整備、創建された。これは日露戦争の時期もあって軍神・武田信玄を神格化しようという動きがあったためらしい。

甲陽武能殿。武田の”武”と能舞台の”舞”をかけているそうだ。

周辺をうろつくと空き地や土手にいくつか変わった花が咲いていた。どこかから逃げ出してきたやつだろうか。

ヤグルマギク?
ハゼリソウ?
ベニバナツメクサ?

ぶらぶら歩いていると一段高いところに溜池があって有料の釣り場になっていた。竜華池。
みてると結構釣れてるようだった。

武田神社の周りは街角にここに誰が住んでいたという看板があって、市か県かわからないけど歴史保存に力を入れているなあと思った。
まぁちょっとディープで浅い歴史知識の自分には知らない名前ばかりだったけど💦

武田神社の周りをぶらぶらと散策した後は甲府駅のほうへ。ほうとうを食わねばならぬからな。

駅前には武田信玄公もどっかりと陣を構えておられた。迫力がある。

駅の近くには甲府城(舞鶴城)がある。ちなみに舞鶴城の名前は全国に16城あるので甲府城にここでは統一する。甲府城は武田家滅亡後の徳川の時代に築城された。近くに武田の銅像があるから混乱するが、あくまでも武田の拠点はこの場所から北へ約2キロ先の躑躅ヶ崎館(武田神社)だった。

いや甲府城はあとまわしだ。ほうとうほうとう。
甲府駅周辺には何店舗かある老舗だろう「小作」へ。メニューをみればそこそこ観光地価格。
ん?「おざら」ってなんだろう?
奥さんは通常のほうとう、自分はものめずらしさに弱いのでおざらを。

エビ天おざら

おざらとはつまりアレだ、ほうとうのつけ麺だ。煮込まれてるがほうとうかと思ったがさすがほうとう王国山梨、つけ麺もラインナップであった。

こっちはほうとう。

結論から言えばほうとうのほうがよかった。。夏場はおざらでもいいかもな。。

さて食事も終え、甲府駅周辺をぶらつく。
まず北口。どうやら甲府城はその城郭に線路開通されたらしく、北口に大手門を再建した甲府市歴史公園、南口に甲府城本丸の舞鶴城公園と甲府駅で分断されている。

その大手門

その周辺には観光客向けっぽいショッピングモール、飲食店、時の鐘がございました。

そして甲府と言えば甲府城

天守台

甲府といえば武田のイメージだが甲府城は武田氏滅亡後に築城された。武田の居城はあくまで武田神社のある躑躅ヶ崎館だ。
甲府城は豊臣秀吉の命によって築城されたといわれるが、その前に甲斐の拠点として徳川家康が築城したともいわれる。その後豊臣政権下で家康は江戸に移封される。

なんにしろ豊臣大名の加藤光泰、浅野長政が完成させた。

今日はここまでで、二日目は昇仙峡へ。

奇岩と川の流れを感じるこの昇仙峡ハイキングはよかった。
岩にそれぞれ名前がついてたりして。

とてもスリリングで絶景だった。

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