AI考

つれづれ
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僕は理系の人間じゃないしAIつまり人工知能については門外漢だ。
でも門外漢だなんてどや顔している時代でもないし、僕はAIとか新しい技術や概念が大好きだ。

まぁもうAIが新しい技術だ概念だなんて言ってる時点で遅すぎる。1950年、つまり僕の生まれる前からELIZAは生まれていたし、AIという言葉も1956年には定義されている。AIのほうが僕らより先行してるのだ。
そしてもうAIは暮らしの中に十分溶け込んでいて今更拒絶反応を起こすほうが滑稽なほどだ。

今後も医療、自動運転、ありとあらゆるモノた場面でのレコメンド、人間の行動決定とますますAIが進出していくことは間違いない。それこそありとあらゆる分野に関与してくるだろう。
それに対し警戒を強める人も多い。たしかになにか不気味な未来が待っているように感じる。

それは人工知能が技術的特異点(シンギュラリティ)、つまり人類の知能を上回り(それは2045年頃だと予測されている)、もはやそれ以上の開発や発明に人類は必要なくなる(ヒトより賢いのだから)と言われているからだ。スティーブン・ホーキング博士は「人工知能の発明は人類史上最大の出来事だった。だが同時に『最後』の出来事になってしまう可能性もある」と言っている。

たしかに人類より賢くなったモノがさらにバージョンアップしたモノを作っていけば、やがて人類の想像が及ばないものが生まれるのだろう。あーそれは思いつかないわー、みたいな。
するとだよ、人類と敵対するAIが生まれるかもしれない。人類を害とシンキングするかもしれない。
映画じゃよくあるでしょ。「2001年宇宙の旅」のHAL9000(これはコンピュータの総合失調症だった)とか「ターミネーター」のスカイネットとか「マトリックス」のデウス・エクス・マキナ(なんてふざけた名前!)とか。

うーん、やっぱり未来は暗いのかもしれない。遺伝子操作の技術など、やはり行く末はよろしくない想像が浮かぶ。

でも僕は考える。それが進化であるなら止められないのだろう。文明が生み出されたときからそれがどこまでも進むのは、人間が生まれて成長してそして去っていくのと同じだ。「むやみな科学の進化を止めて、変化しない社会を!」という考えもわからんでもないが、そうもいくまい。みんな寿命を延ばしたり病気をなくしたりしたくなっちゃうでしょ。

もはや許容するしないにかかわらず生まれ育つ。それは最早なにもやめさせたり、考えをかえさせたりできることではなく、つまり未来はなるようになるのだ。

なるようになるのだから目をそらさず、最大限楽しめばいいし、自分に役立たせればいい。
僕はAIやそのほかの技術が組み合わさって、何が生まれるのか、どんなことができるようになるのか、何を見せてくれるのかワクワクする。生きているうちに見れるもの使えるものは何でも体験してみたい。

AIが今ある職業を奪う、なんて悲観もある。
たしかにそういう職種もあるあろうたくさん。でもそんなことは今までもいっぱいあったろう。なくなったり大きく形を変えた職種は今までもたくさんある。

もう一つの懸念はAIが考えるから人間が頭をつかわなくなるんじゃないかということ。これは僕も大きく懸念する。情報が増えれば増えるほど人は短絡的になるように見える。昨今のネット上の炎上などみたり、世の中のクレームの質をみると、まじかなんて浅いとこまでしか見ないんだと驚くこともある。
しかしそれもしょうがないのかもしれない。それがラクだと思う人がいるのも。

ただAIに考えさせて、自分が考えないのがラクなのかと言えばどうだろう。
それこそ考えないのなら人間はAIにとって代わられ映画の世界のような話になる。暗い未来だ。それもしょうがないだろう。人間が自ら考えることを放棄するなら、それが人間の限界なのだろう(僕は人間に限界はないと思っている派だが)

時代が変わるというのは、文明が進化したということだ。ちっともあわてふためくことも、斜にかまえることもない。それにあったことを探すのが人間の本質と僕は思う。
それはワクワクすることではあって怖いことじゃない。

だから僕はAIにワクワクする。新しい概念に触れることにワクワクする。

#つれづれ

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