僕の言いたかったことは

つれづれ
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「私は淋しい人」と書く人に「気の持ちようだ」といったら、
わかってもらえないんですねと言われた。
心を伝えることも心を感じることも、むつかしいことだ。

少しアルコールが残っている頭で仕事をする。
誰もいない仕事場は快適だ。冷房かけ過ぎても気兼ねしなくていい。でもちょい寒すぎるか。

僕が言いたいことは淋しさに囚われてはいけない、淋しさに守られてはいけないってこと。
淋しさに縋ればあなたの魅力をあなたが忘れる。
淋しさはいつもそこにあるのだから、気にし過ぎてはだめさ。
え?僕?
淋しさに嵌るほど人に囲まれてないよ。
淋しさに浸るには人が必要なんだ。

以下、もらったコメント

りきこ
寂しいのをわかってほしいんじゃなくて、寂しいといった自分のことを認知してほしい。できれば慰めてほしい。んだよ。女の人はいつも、察してくれる人を欲しがる。


ああそうだね。淋しいと発信することで「わたしはここよ」とね。もしくは許しを求めてのかもしれない。
僕はがさつな男なので女ごころを汲んでやれないんだ。
ああ貝になりたい。もしくはパイに。

りきこ
いや、女心なんて本当はないんだよね。エゴだエゴ、ただの。
きー笑


あるよあるある女ごころ。男と女は違うもの。
女には女ごころ、男には男ごころ、魚にはうおごころです。

#つれづれ

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